メルヘン

―――風の噂で、あの人に子供が生まれたと聞いた。  
 咲き誇る桜の中、嬉しそうに話す彼と会ったのだそうだ。  
 遠い櫂の国での出来事が、里の自分に届いたのはそれから1月も後の話だ。  
 願わくば彼に似て、銀糸に縁取られた美しい面差しであって欲し い。否似ても似つかない子供であってほしい―――。


     ***


「この雨で、桜終わっちゃうかな?」
「そうだな、まだ高台の方は満開になっていないから大丈夫じゃな いのか?」
 櫂の国は、イルカの暮らす隠れ里よりずっと南に位置している。木ノ葉の里は今、花の盛りを迎えようとしていた。
 少し肌寒い雨の中、隣に立つミツバに傘を差しかけてやりながらイルカが答える。
「心配しなくても結納の日はまだ桜が残ってるよ」
「…ごめんなさいイルカさん、大袈裟なことはしないで欲しいと父に頼んだんだけど」
 照れ隠しで困ったような口調でミツバが言う。
「俺は家族がいないから、いろいろお父さんに教えてもらえて嬉しいくらいだよ。日取りから全部お父さんが決めてくれたし。なんだ か上手く運びすぎて拍子抜けかも」
 くすりと笑うイルカに、ミツバが小さくため息を漏らす。
「入籍も、結婚式の日取りまでよ!本当にごめんなさいね。でも父 はあなたの事すごく気に入ってるの」
 見上げるようにして微笑むミツバの肩を、イルカはしっかりと抱き寄せる。
「ありがとう」
 ありがとうの他に、イルカは言うべき言葉が見つからない。



 体の関係を望んだのはカカシだった。数ある隠れ里の忍達の中で も群を抜いて優れた技を持ち、戦歴においては連座する上忍達からも一段上に数えられる男だった。その申し出に応えない者がいると すれば、忍として一線から退いた、あるいは一般の里人として安寧 に暮らす者だけだろう。そしてイルカがはぐらかすことも出来ぬ内 にいいように扱われあっさりと一方的にカカシに関係を断ち切られることとなった。
 当時のカカシとイルカの関係を知るものはほとんどいない。
 よしんば知られたとしても、それは掃いて捨てるほど理不尽に埋 め尽くされた忍稼業の中で、取るに足らない事柄として捨て置かれてしまう話なのだ。カカシのような木ノ葉指折りの忍である男でさえ、こんな異常な行為でバランスをとらなければならないほどに過 酷でままならない世界。
 必要悪。
 何かを得るには代わりのものを捨てなければならない。里の行く 末を思えば、仕方のないことなのだと―――。
 そんな現実には慣れているはずが、今回の出来事ばかりはイルカ の想像を越え味わったことのない苦しみを与えた。
―――別れてくれるという ―――遠い国の名家の姫を娶るという
―――今までの礼として望むものを差し出すし、出来うる限り便宜 を図れるよう口添えをするという
 イルカへの理不尽な暴力の代償だと思えば、口止めに殴られたり 脅されたりしなかっただけ有難い―――。
 自分と変わらないような人間をあえて嬲り者にして征服欲をみた す輩などカカシが初めてではない。アカデミーや受付に従事し、顔 が広い中忍のイルカなど格好の餌食だった。そんなことは分かって いた。だから自分は大丈夫だと思っていた。いくら好き勝手されよ うと、自分は他人の邪な思惑に負けないはずだった―――。
 迂闊だったと言わざるを得ない。無理に自分を抑え続けた時間が、 カカシと過ごした時間が長すぎたことに。これは反動だ―――。
 体の不調の原因を理解する頃には、眠れず、食べることが出来ず、誰の言葉も届かない状態になっていた。
 あれほどの男が―――自分を苛み―――そして感情のない生き物 のように扱う―――俺はそれを許してしまった―――
 正常な思考はとっくに止まり、己の弱さを心の奥底から呪う声が する。これが病魔だというのなら、何故感情を司る全てを侵してく れないのだろう。流れ落ちる涙の乾く暇がない。俺は弱い―――。
 心身ともに疲れ果て、最後の逃げ道にいっそすがりつく夢を見続けた。    そうして気がつくと、イルカの側に彼女が来てくれた。
 カカシの離れていった溝を埋めるように、寄り添い暖かい手を伸ばしてくれる人に気づいた。卑怯だと理解しながら、自分の気持ちに目をつむって彼女の優しさにイルカは甘えた。
 彼女の期待に応えるくらい何でもない。
 ミツバはしっかりしたゆるぎない愛情を一心にイルカに向けてくれる。
 自分も彼女を同じだけ愛せるだろう。彼女はイルカの命を救い上げたくれたのだから。



 雨の夜、イルカは数ヶ月の後に引っ越すはずの自宅アパートの前 に、ありえない影を認めた。
「こんばんは、お元気でしたか?」
 銀の髪を濡らし、青白い顔をしたかつての情人がゆっくりとイル カに向かって微笑んだ。


(秘かに酷い男をテーマに書いていました)


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