キミハ ボクノ モノ




家に持ち込まれた荷物を勝手に暴くような行為をされても、その持ち主は怒らない。
それは、二人がもうそういう関係になってから、幾つかの季節を越え、変わることなく手を取り合いながら暮らしている確かな毎日が基にあるからだ。
もともとの本質は穏やかな人だとイルカが思うその相手は、同じ性別を持つ四つ年上の人物だった。
そのせいか彼はイルカの不満を解消する技に長けていて、今まで二人は小さな衝突しかしたことがない。喧嘩らしい喧嘩を向こうがさせてくれないのだ。

はたけカカシ―――
出逢った頃よりもずっと深く愛していると思う反面、父が母に声を荒げて妻としての至らなさを叱る姿を度々見て育ったイルカには、カカシが年上の貫禄で甘い顔しか見せないことも、少し不満だった。
不安だと言い換えてもいい。

(――父ちゃんのアレは…、今思えば子供っぽい内容だった……。結局は母ちゃんに世界の誰より大事にしてもらっていると実感したかったんだ。…子供だった俺の世話を疎かにする事も許さないくせに、父ちゃん自身も一番に見てもらわなきゃならなかった。母ちゃん、大変だったろうな、あんな我がまま亭主で。待てよ…だから俺一人っ子だったのか……!)

イルカは冬の穏やかな光の中で回想しながら、同棲するカカシの洗濯物を畳み、半分ずつ使っている古い胡桃の木でできたあめ色の箪笥の抽斗を開けて使い勝手がよいように洗い立ての下着を奥にしまおうとした。

「ん?」

カカシが使っている抽斗の一番奥に、真新しい額当てが置いてある。気になって引っ張り出してみると、新しいのは布地だけで、鋼の部分は輝きが鈍く、かなり疵がある年代物であった。
何故だか心惹かれ、イルカはその鋼で出来た鉢金を暫く指で辿るようになでていた。
どれほど呆けていたのか、いつのまにか玄関に人の気配を感じた。

「ただいま。何かあったの?どうかした?」

イルカが振り向く前に、気配はすでに部屋の中に移動していた。
どうやら室内で立ち回っていたイルカが一箇所で不意に動きを止めた事をカカシは自宅に辿りつく前から気づいていたのだろう。
何かが日常と違うと認識するかしないかの内に、カカシは無意識にイルカの安否を気遣って飛び込んできたのだ。
こんなことにカカシが木ノ葉屈指の上忍と呼ばれる実力が見え隠れする。

「……コレなんですが」

お帰りと言う声も出ないほどに、イルカは不思議でならないといった様子で、カカシに手に握った額当てを差し出した。
カカシが気遣わしげな眼差しをした後に表情を消した。

「俺のです…。俺が失くした額当てですよね?カカシさん……」

カカシが貝になっている事に少し腹立たしさを覚え、イルカは声を低くして言った。

「これは俺が卒業試験で貰った、一番最初の額宛です。中忍になるかならないかの前に失くしてしまったものです」
「……イルカ……」
「使い始めてすぐに木ノ葉模様の下に深い疵をこしらえてしまって、後悔しながら大事に使っていたものです」

カカシが一歩近づいて来た所で、イルカは額当てを強く握って目を据えた。

「ある日、いつのまにか真新しいものと入れ替わっていたことに気づきました。任務で一緒になっている連中に聞きまわって、奴等に間違って持ち帰えってないか随分長い間、探しました。結局見つからなかったけれど……。どうしてその失くしたはずの額当てをアナタが持っているんですか?」

当時は諦めがつかなくて、イルカは随分切ない思いをしたものだ。カカシが持っていたというのならその理由を聞かずにはおれない、丁寧な口調で話したが声には力が籠っていた。
少し考え込むようにしていたカカシが、顔を上げてイルカを見て言った。

「……額当てじゃなくて他のものでもよかったけれど、……それは、俺が盗りました……」
「ど、どういうことですかッ?」

カカシは再び俯き、イルカには彼がうなだれているように見えた。

「もっと大人になってからアナタと出逢っていればよかったのかもしれませんが……。あの時は、あなたの気持ちも考えずに勝手なことをして、……本当にすみませんでした」
「カカシさん?俺達が逢ったのは充分大人になってからですよね?」

一緒に暮らし始めたのが一年近く前で、出会いはその半年前だ。

「――俺があなたを初めて見たのは、十年以上前のことです」

イルカは部屋の中で突っ立っているのも妙に思い、そのまま畳みの上に腰を下し正座をした。
強制したわけではないが、そんなイルカを見下ろすことを嫌ってか、カカシも腰を落した。そして、視線を落したまま訥々と話し始めた。


「アカデミーの演習場で見かけたアナタのことを、始めのうちはなんておてんばな女の子だろうと思っていました」
「まさか。人にそんな風に言われた事はなかったですよ……」
「…だから、すぐに気がついて、どうしてそんな思い違いをしたのかと考えたんです」
「……はぁ」
「一目見た時から、俺は好きになっていたんだと思います」
「冗談でしょう?」

あまりにあっさりと好きになった経緯を聞かされたイルカが信じられない思いを口にすると、カカシは眉尻を下げて困ったような顔をした。
思わず口走った言葉に悪かったと思いつつ、イルカ自身もどういう反応を見せればいいのか分からずにカカシと同じような顔になった。

「あなたの周りには同世代の友人が沢山いたし、そこへ俺が入っていくのはどうやっても不自然な気がして、声を掛けられなかったんです。俺はアカデミーを卒業していたし、その頃には上忍でした」

イルカには銀色の髪をした少年の姿など記憶に無い。

「十代のはじめでしたが、すでに誰にも言えないような仕事を請け負うことが多くなっていた頃です」

思い返すカカシの目は遠くを見ていた。

「……任務と思えば仕方の無い事でしたが」
「そうですか……」
「俺は、たまにあなたの姿を探し、笑ったり怒ったりしている顔を遠くから眺めては、慰められていました」

イルカはそんな視線があった事など、これっぽっちも気づかないで居た。当時はまだ忍の卵だったとはいえその鈍さが恥ずかしい。

「そんなので効果がありましたか?」
「だって、好きなんだから」
「また、そんな簡単に……」
「そう言うけど、あなたは喜怒哀楽が激しくて、まるで俺と逆でしたから、見とれていたのは本当ですよ。イルカが笑うと、俺自身も笑っている気がして、胸がすっーと晴れるんです」
「カカシさん……」
「いつのまにかこの子は俺の分まで笑ったり泣いたりしてくれてるんだなって思うようになって、すごく愛しく感じるようになりました」


そう言ってカカシはイルカを見て優しく笑った。少年時代のカカシがイルカを見て、同じように微笑んでいたと思えば、それを知らないで暢気に過ごしていたことに少し胸が痛む。

「他に楽しみにしていたこともなかったし、任務と訓練に明け暮れていましたから、あなたを好きだという思いが募ってしまったかもしれませんね」
「声を掛けてくださればよかったのに……」

一足飛びに同性に恋をするなどなかったかもしれないが、イルカは友達くらいにはなっていただろうと思った。

「あなたは、警戒心の強い子供でしたよ。特にあの災厄の晩から一人になってしまったあなたに、任務に飛び回っていた俺も気持ちが疲弊していたし、仮に近付けたとしても結局は傷つけていたと思います」

そうだったかもしれないとイルカは思った。イルカの不安を掻き立てるような人間に、あの頃の自分が心を開いて接したとはとうてい思えない。

「毎日のように過酷な任務をこなしながら、この世界に気持ちを繋ぎ止めるものが欲しいと思うほど俺もまだ未熟でした。自分の事ばかり考えていたから、あなたの前に立つ事も怖かった。大切な人に対する接し方を知らなかったから」
「それが未熟だ何て言いませんよ。カカシさんは俺が下忍にも満たないような年頃から、どれだけ頑張ってきたのか、ちゃんと考えた事ないんですか?生きて大人になる事だって難しい場所にいたのに!」

優秀な忍は幼い頃から戦場に立たなければならない時代だった。忍の絶対数が少なかった上に、忍界大戦に投入された彼らは次々と命を落していった。

「それで、コレを……?」
「任務の度に持って行きました。寒い冬の夜でもこのお守り代わりの額当てがあれば、俺は不思議と凍えませんでした」

イルカは自分のものだと主張するように強く握り締めていた額当てを下し、そっと膝の上に置いた。

「でも……、下忍を二、三年した時分の俺なら、声を掛けてくださればよかったんです……。もう自分なりに忍として生きていく、本当の意味での覚悟が出来ていた時でしたから」
「けれど、いきなり男に好きだと言われたら困るでしょう?」
「それは……」

カカシが悪戯っぽい瞳で見た。

「ま、言う気はなかったんです……。俺の中のアナタが、俺のものであれば良かっただけなんですから。里へ戻って、アナタに別に好きな人が出来ても、そしてその人と結ばれて子供を持っても、俺の心の中にただアナタが存在してくれていれば、あの頃はそれだけでよかった」
「……勝手な言い分ですね」
「ごめんね、黙ってて。……あの、怒りました?今頃謝っても遅いでしょうか?」

長身を縮ませながら途方に暮れたような顔をして、四つ年上の男がイルカの表情を伺っている。イルカは顔を赤くして、苦しげに眉を寄せた。

「やっぱり俺のこと、嫌いになりました……?」
「もっと欲張りならよかったのに……」
「イルカ?」
「アナタが可哀想です。そんな事でよかったなんて不憫です」
「そうかな……?」

カカシはイルカににじり寄ると、その顔を覗き込んだ。

「アナタのわがままを引き出してくれるような、包容力もあるいい女の人もいたでしょうに……。俺が髪を伸ばしていたのがいけないんでしょうか?そりゃ、声変わりは遅かったですけれど……お転婆な女の子と間違うなんて、気の毒です……」

イルカが悔しそうな顔をして涙を必死で堪えている。

「なんで笑ってるんですか?もしや、アンタの心の中と身体は別々で、さんざん綺麗なお姉さん方と遊んで来てるから、こんな俺のこともずっと好きだったなんて軽口きけるんじゃないだろうな!」
「ホラ、もう怒った」

イルカの怒った顔を見て、カカシが嬉しそうに笑った。

「好きですよ。だって一緒にいると楽しいし、気持ちは優しいし、いつまでも可愛いし、でも俺の好みに問題があると言うなら、はたけの両親に言って下さいよ。……アレ……?」

派手に流れ出したイルカの涙を、カカシは微笑みながら何度も指でぬぐった。

「ま、巷の噂じゃ、木ノ葉は美人の産地らしいですからね、綺麗な人はたくさんいますが」
「美人じゃなくて悪かったな……!」
「かっこいいんだよね、イルカは」

イルカは知っている。カカシに惚れる女は沢山居るけれど、過去に彼が悪し様に言われるような付き合いをした人間は一人もいないと。

「ねぇ、許してくれますか?」
「随分時間が経ってますから、全部時効ということにしましょう。……気持を聞いて嬉しいと思ったし」

イルカは額宛を持ち上げるとカカシの方へそっと押しやった。

「俺も嬉しいです。こんなに世話を焼いてもらうのが心地いいなんて知らなかったです。もっともっと我がまましてみたくなりましたよ」

畳まれた下着を指差し、カカシが頬を赤くして笑った。
かいがいしく父の世話を焼いた母の気持ちが少し分かった気がして、イルカはわざと鷹揚に頷いて見せた。

fin.



改訂
(2012.27)




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