大喧嘩15



 ぽろりと箸から豆がそれたのは、指先がしびれているせいだ。忍ともあろうものが、一晩中カカシのどこかしらにしがみついて寝ていたので、まだこわばりが残っているのだ。
 イルカの箱膳を隔てて向かい側に、仏頂面の老人、その横に心無しか頬を染めている娘。イルカの隣には着替えを貸してやった旅装束姿のカカシがいた。
 老人がむすっとしたまま茶を飲んでいるのは、娘がいつもひとつに結わえるだけの髪に、綺麗な飾りをつけているからだけではない。今までの道中ずっと親子とイルカの三人だった朝餉に若い男性が増えたせいだ。カカシと、何故かもう一人。
 イルカが共同の洗面所で髭をあたっている時、宿の者が突如その知らせを持って来た。
 イルカ達のさりげない観察をよそに、宿の用意した食事を人一倍食べている男、娘の働く商店の二代目という若者は、夜通し駆けて来た疲れも見せず、みそ汁をすすり終わると、きちんと手を合わせた。
 この数年、彼は火の国の大通りに出した支店を切り盛りしているが、久しぶりに親元に帰ってみると、本店にいるはずの看板娘の不在に気がついた。事情を知り、父一人娘一人の長旅だと聞いて心配になった男は、矢も盾もたまらず飛んで来たというのだ。

「頼みもしねぇのに」

 老人がこぼした言葉が消えるくらいの声量で、イルカがお茶のお代わりを申し出た。

「奥様にもお許しを得て参りました、どうぞ自分にお伴させて下さい」

 食事の後、若者ははっきりと全員の前でそう言った。彼は彼女の窮に言葉通り駆けつけたのだ。娘から溢れ出る笑顔に、嬉しさを隠しきれない様子が見てとれた。あっけにとられていた老人も、娘の喜ぶ顔を見て、それ以上何も言わなかった。若い娘が単身、父親の為に遠い木ノ葉の里まで来て奮闘したのだ、緊張のし通しだったろう。

「先生……」

 老人の呼び掛けに、イルカは頷いた。依頼人から正式な申し出があれば、任務をその時点で終了させる事が出来る。

「いつまでも人気の先生を引っ張り回したんじゃ、子供達に申し訳が立たんからな」

 イルカは父娘の警護及び、荷運びの任を解かれた。


「お名残り惜しいですが、道中お気をつけて……」

 宿を出るのに合わせて、イルカ達は親子と将来の家族になるであろう若者の出立を見送る事になった。
 目元が歪んでしまうのは、外の日差しがまばゆいせいだ。老人がイルカをジロリと見た。アカデミーの中庭で、最初に老人に声を掛けた時も、こんな風に下から上まで値踏みされるように眺めていたなと思い出す。

「世話になったな、先生。アンタと旅が出来てよかったよ」
「私もです、どうぞお元気で」

 この人とはもう会えないかもしれない。そんな考えがイルカの頭をよぎる。口うるさい頑固爺さんだったが、イルカとは不思議と馬が合った。

「俺の事なら心配ない、先生こそあんまり他人に肩入れして、貧乏くじ引くんじゃないぞ」


 娘と将来の婿であろう若者に、老人の事を重ねて頼み、イルカは帰還期限の迫ったカカシと共に里へ向かった。
 里抜けを疑われる忍に関して新たな知らせが届き、引き続き捜索を続けるカカシの暗部の後輩に後の事を託して、そこからは一気に走った。
 木ノ葉が会場となっている忍五大国をはじめとする隠れ里の忍が集う、中忍試験の本選の準備もある。カカシは試験に臨む下忍の修行につくのはもちろんの事、期間中の里の警備と監視に、イルカも借り出されることになる。
(忙しくなるな)
 そうなったらまた、カカシと会えない時間が増えるのだ。前を走るカカシの背中が遠くならないよう、イルカは懸命に追いかけた。
 急に速度を落としたカカシが、一歩でイルカに並んだ。

「寂しそうな顔しちゃって」

 イルカがハッとして顔を赤らめた。そうなのだ、せっかく仲直りできたのに、また行き違いの生活になれば、イルカの恋心も寂しさのあまりまたスネてしまうかもしれない。

「あの人、どことなくイルカ先生のお父さんに似てましたし、仕方ないか」

 カカシがちらりとこちらを見やった。

「う、うちの親父にですか?」
「任務中に見掛けた事があります。声量があって、ニヒルな感じの」
「よくご存知で……」
「イルカ先生って、ファーザー・コンプレックスの気がありますよね、いつも嬉しそうに三代目のお世話してるし。なんかアレ、とっても気に障るんですけど」

 イルカが寂しそうな顔をしていたのなら、それはカカシを思っていた訳で、見当違いな文句である。全くいつどこから矛先がこちらに向かうのか、油断出来ない相手である。だが、昨夜の熱い告白を受けた後では、それだけイルカに対して余裕がないという証明なのかもしれないと思った。

「ま、だからイルカ先生は俺を選んだってことなのかな。そりゃあ、包容力ならわりと自信ありますがね、……それにプラスして俺もお父さんみたいに厳しくした方が、アナタ嬉しかったりして」
「……」
「何ですか、そのかわいくない顔」
「空耳かなぁ、全体的に包容力のある人の言葉じゃないよなぁ」

 イルカはチャクラを高めて全速力で駆け出した。

「ちょっと待って下さい先生、少し休憩して帰りましょうよ。見晴らしのいい丘があるんですよ」
「帰還期限が迫ってますよ、俺も仕事がありますから」

 軽々と追いついて来たカカシに、イルカはにべもなく返す。

「久しぶりに、愛を育みましょうよ」

 器用に走るイルカの耳元に、カカシが熱っぽく囁いた。

「……カカシさんの仰るように、俺、火影様くらいのちょっと枯れてる感じが好みなんですよね」
「な、何か怒ってません」

 カカシの焦った問いに、「怒ってない」とイルカが返し、怒った、怒ってない、の押し問答を続けるうちに、二人は日暮れ前に木ノ葉に着く事が出来た。


「俺達、つまらない事で、よく喧嘩できますよね」

 あうん門をくぐり、報告所へ向かう道すがら、カカシが背中を丸めた姿勢で呟いた。

「……ずっと、こんな事の繰り返しかな」

 傾き始めた太陽が、歩く二人の足元に長い影を作った。今度は、オレンジ色に照らされるカカシの背中が寂しそうに見えた。

「喧嘩しても一緒にいられるカップルなんて、ちょっといいじゃありませんか。俺は怖い物がなくなりました」
「イルカ先生」

 カカシが視線の先にあるものに気がついて、目を細めた。ポケットに両手を突っ込んだいつものカカシの影に、イルカが自分の影を重ねていた。
 地面に映し出された影の中の二人は、男女の恋人同士がするように、木ノ葉の里の中で誰の目も憚らず腕を組んでいる。行き交う人々の目にとまらなくても、二人は寄り添い合っていた。
 日が沈むのはまだ先だ。お互いの影が離れないように、カカシとイルカは微笑み合い、ゆっくりと歩いて行った。



おわり






有難うございました。

(2014.9.24)



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