木ノ葉の里にも雪は降る。北西にあたる盆地の切れ目から、冬の風向きによって雪雲が流れて来るのだった。
忍は寒さに強いと言っても、皆それなりに対策を講じる。カカシは顔にマスクをしている分人よりは外気の冷たさに悩まされる事は無いが、時にはマフラーを巻いたりマントを羽織る。動きの邪魔にならない程度に、そしてあまり見苦しく無い程度に。外の敵と対峙した時、センスを疑われるような格好はしない。
見栄えや身なりを構う余裕が無い→弱い。という図式がある。だから、忍はおいそれと辛そうな顔を見せたり、鍛錬中の姿を秘密を守る上でということもあるが、隠せる事は隠すというスタイルを貫く忍が多い。カカシは顔まで隠しているくらい、その最たるものである。
その点、護衛が必要な例えば火影クラスの人間や、顔が広くて公私を分ける時間がないような忍は、隠し事が出来ない。敢えて隠さないガイのような男もいるが、彼は自分の体術に絶対の自信があるから秘密にする必要がないのだ。
 カカシは陽もとっくにくれた帰り道、住宅地のすぐ近くの、里の住む一般人も歩く散歩コースを走っている仲間の姿を見た。ジョギングというやつだろう。冬なのにベストを脱いで、半袖のアンダー、額宛は外している。いかにも害のなさそうな出で立ちで走っているのは、カカシ率いる第七班の下忍達をアカデミーで教えていた、うみのイルカだ。現役のアカデミー教師で、まだ二十代半ば過ぎの男だが、している事はスマートとは言えない。なんとも忍らしくない、どちらかといえばガイ寄りの鍛え方だとカカシは思った。
 一度人が話しているのを聞いたが、うみのイルカの行動はパトロールを兼ねているということらしい。沢山の子供を教えて来た彼は、プライベートな時間まで生徒達の事が気にかかるようだ。両親ともに忍で一人で家に居る子供も多いし、忍ならではの事情で色々な状況に置かれている子供に目を配りたいのだろうという事だった。彼のそういう姿に気付いたのは、もう三年近く前だ。
「女の人には全然モテないんだってばよ」
 七班の一員であるナルトの言葉通り、そういう日常を送っているイルカの女性受けはよくない。だが、男性には味方が多い。
 ナルトを守る形で、元同僚であったミズキとの戦闘でも、彼は酷い怪我を負わされたが、イルカを知る人間の口から聞いたのは、本気で戦えばアイツは勝てた、という言葉だった。本気を出せば強い。中忍だが、イルカが本気になれば、特別上忍にだって負けない、上忍とて手こずるはず。彼を知る男性陣は口々にそう言った。何の事はない、本気を出さなければ、一生ただの人だ。そんな人間は山ほど居る。
 あれは三年前のクリスマスだった。任務から戻ったカカシは大門の側に佇むイルカを見た。小さな里もクリスマスの華やいだ空気が漂う中、額当をはずしたイルカが立っていた。人待ち顔でいた彼の事を、任務の同行者が、子供の為のパトロールをしているのだろうと言っていた。
 二年目も見かけた。独り身でイベント事に頓着しないカカシは、クリスマスや年末の任務が回って来やすい。イブだったか、クリスマス当日だったか、大門の近くでトレーニング姿のイルカを見かけた。
「ナルトは今頃どんなクリスマスを過ごしてるでしょうね」
 その程度の会話をしたのをカカシは覚えている。
「パトロールご苦労様です」
 と言うと、困ったような顔でイルカが笑った。時間外にも熱心に仕事をしているのがありありと分かると、冷やかされたり、余裕があると嫌みを言われたりする事があるのを、どこかで警戒しているらしい。
 木ノ葉を大きな一つの巣とみなすと、自分たちは働き蟻だが、本物の蟻ほど明確な仕事の分担化が出来ていないので、イルカのような人間がきちんと自分の役割を果たしているのを理解できない人間がいる。下忍を預かる身になるまでのカカシも、自分と近い人間以外にただ単に強い線引きをしていたので、直接嫌みを言ったり考えたりした事は無いが、同じようなものだ。
 どこからかクリスマスの曲が流れて来るのが聞こえる。特別な予定はなかったカカシだが、任務に同行した仲間が飲み会に来いというので、少しはクリスマスらしい夜になりそうだ。イルカが何かを言いかけそうになった時、大通りを先に進んだ仲間の「行くぞ」の声が聞こえた。
「お引き止めしてスミマセン」
 先に謝って、さっさと走り去るイルカの後ろ姿をカカシは見送った。
 イルカにはこの後恒例のサンタクロースの任務もあるのだと、彼を昔から知る髭濃い上忍仲間がそう言った。

 また次のクリスマスまでのこの一年、イルカは今まで以上にトレーニングに力を入れているのが分かった。気になりだすと、たびたびその姿がカカシの目に入るようになったのだ。相変わらず忍らしからぬあか抜けないスタイルを貫いているが、三年前にはじめて会った時から少し身体が出来て来たように思う。里中を駆けることで、イルカがどこでも目を光らせている事も、生徒達にはよく分かるだろう。本当に働き蟻のような人だとカカシは思った。
 コツコツやるタイプだが、あんまり要領はよくない。くノ一の目から見てもそうらしい。あんなに頑張っているのは、意中の相手に振り向いてもらう為なのだと、それも数年越しらしいと、カカシと同じように彼がアカデミーで教えた生徒を下忍に持つ紅が言った。
「聞いたの?」
「半分ね。半分は勘よ」
 くノ一の勘というのは、目端の効く彼女らのきちんとした裏づけを積み重ねたものなので、だいたいその通りの事が多い。
「上忍の彼女でも狙ってるの?」
「さぁね、でも、千両役者が揃ってるから、自分では見劣りするって言ってたわよ」
「自分が冴えないの知ってるんだ」
 自分の力量を知っている事は、とても重要な事だ。
「ばかね、そんな事ないわ。かわいいじゃないの」
 赤い目が呆れたようにカカシを見た。
「可愛いと言われて喜ぶ男はいないよ」
 一つや二つしか違わないのに、紅はいつもカカシを年下扱いする。
「アンタ分かってないのね。男は肩書きとか、見て呉れじゃないのよ。相手を惚れさせたらいいの」
「はぁ、よく人待ち顔で立ってると思ったら、長々と片思いしてるって、俺が女だったらひくね」
 もしも、振り向いた先にいつもどこかに困り顔のイルカが立っているのが目に入ったとしたら、ほとんどストーカーだ。カカシは諦めの悪そうなイルカを思った。
「あら、よく見てんのね」
 なんとなく気の毒な人っぽいから、という言葉は飲み込んだ。どうやら紅はイルカに肩入れしているようなので、あまり本当の事は言わない方がいい。
「ちょっとオーバーワークに見えるから」
 身体を絞りすぎて、顔色が悪く見える。彼の可愛がっていたナルトが今修行の旅に出ているのも、イルカが身体を必要以上に鍛える理由の一つのようにも思える。
「アンタの目からそう見えるなら、言ってあげなさいよ」
「あんまり親しく無いし」
 親しく無い人間に言ってもらう方が、イルカも分かるだろうと紅が言った。

 今年もやはりカカシはクリスマスをまたいだ任務に出ていた。大門をくぐり抜けると、誰に貰ったのか、上質な黒のカシミアのマフラーを巻いたイルカが色とりどりのトルコキキョウの花束を抱えて立っていた。カカシがこの日にこの場所でイルカを見かけるようになって、これで三年。今年こそは意中の人間に告白する気なのだろう。今年は白い雪が舞う日だった。よくもこんな寒い中をと思いながら、恋というのは、凍えるような寒さも忘れさせてしまうのだろう。
 本気を出せば特別上忍を倒せると言われた男。今なら1:3の確率で上忍も倒せるのではないだろうか。
 本気を出せばいいのに。カカシは会釈して隣を通り過ぎた。イルカも穏やかな顔でカカシに頭を下げた。自分もこの季節はいつも任務に出ている。イルカも一人で過ごしている。それも非番らしいのに、半分パトロールを兼ねて。イルカを気の毒に思ったが、カカシもあまり彼とかわらない。彼の恋が成就する事を祈ってあげてもいい気がした。誰かを思う分だけ、イルカの方がカカシより幸せな時間を過ごしているのかもと思いながら、任務の完了を告げに、報告書受付所へ向った。
 建物を出る頃には、地面に人の足跡がはっきりと残るくらい雪が積もっていた。ホワイトクリスマスというやつだなとカカシは思った。雰囲気があるが、明日の朝沢山積もっていたらいやだなと思った。もし時間があれば皆が集まって飲んでいる居酒屋へ来いと、上忍仲間から誘われている、寒い中腹を満たしに行くか、一人でホワイトクリスマスを楽しんでみるか、先ほど見かけたイルカの首尾がどうなったか、少しだけ他の事よりそれが気になった。もし上手くいっていなかったら、飲み会に連れて行くのもいい。恐縮するかもしれないが、気が晴れるだろう。そんな口実を勝手に作って、カカシは白く覆われはじめた木ノ葉の街の中を大門へ向って急いだ。
 
 大門の側は守衛を除いて誰もいない。イルカの立っていた場所へ近づくと、そこにはまだ薄らと人が立っていた後が残っている。街灯に照らし出される消えそうな足跡を辿って、カカシは歩きはじめた。
「一人分しかない……」
 ということは、失敗したか。急に胸がドキドキしはじめたが、今日はチャンスがなかっただけかもしれない。とにかく急いで足跡を追った。
 人気の無い公園のベンチにイルカが花束を持ったまま、上向きかげんで座っていた。黒い髪に白い雪が積もっているのがよく分かる。
「イルカ先生」
 突然のカカシの登場にイルカが驚いたように、少しのけぞった。たまに受付所や執務室で顔を会わせるというのに、この人はあまりカカシに対して打ち解けない。上忍師として子供達をひきついだ後、彼らは自分の部下になったと、彼の干渉を辞めさせる発言をしたせいだと知っている。
「こんばんは、カカシさん」
「こんばんは。雪見とは洒落てますけど、あんまりいい趣味とは思えませんよ」
 つい咎めるように言うとイルカは笑顔を見せた。どうしてかカカシはその笑顔が気に障る。
「あのね、三年、俺が知ってるだけで三年になると思うけど、あなた周りにどう見られてるか知ってますか?」
「な、何をでしょうか」
 カカシがため息を吐くと、マスク越しにでも息が白くなった。
「鍛錬はいいとして、振り向いて欲しいなら、しっかりなさいよ。というか、アンタの頑張りに気付かないような女、もう見切ったらどうです」
 イルカの胸にはまだ花束が抱えられている。
「無理して頑張ったって、いい事無かったでしょう。クリスマスにはサンタの任務もあって、自主パトロールもして、そんなだからクリスマスに女の子を誘うのも、躊躇してたんじゃないの。そういう不器用で空回りしてるところが、俺のよく知ったヤツに似ていて、見せられる方はイライラします」
「そうですか……」
 イルカは困ったように視線を下に落として、鼻傷を掻いた。
「でも、いいことならありましたよ」
「どこが」
 詰問するような強い言葉になった。
「その人は、俺を見てくれていました」
 カカシが疑わしい目つきでイルカを睨んだ。
「労ってもらったり、……今日だって話し掛けて貰えました」
 寒さなのか嬉しさなのか、頬を赤くしたイルカがニコリと笑った。イルカの努力は、小さな成果を上げていたらしい。それでイルカが満足なら、もうこれ以上カカシに言う事は無い。
「そう……。邪魔して悪かったね」
「いえ、こちらこそ。カカシさん、お疲れさまでした」
 カカシは背中を向けて歩き出した。雪が辺り一面を銀世界に変えている。カカシが急に振り向いて、イルカの背中を追った。ずぼずぼと雪を蹴散らして、少し走っただけなのに、息が切れる。

「……俺がにぶいの?それともイルカ先生が気が長いの?」
 三年間、クリスマスの日に、同じ場所でイルカと会う事の不思議に気がついた。
 イルカは照れたように笑って、永遠の恋という花言葉を持つ、美しいキキョウの花束をカカシにそっと渡した。
 




(2014.12.25)
や、やっつけですみません。後日直しが必要なところは直します。



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