――駄目だとか1―――

海から遠い山に囲まれた木ノ葉の里でも、過ぎ行く春と引替えに、随分と陽が長くなった。
早足で歩くイルカの背を、まだ落ちきらない夕日が赤く照らしている。
晴れた宵の空の下、一日の仕事を終えたイルカは、ここ一年ほどで随分親しくなった友人の待つ小料理屋を目指して、懸命に足を進めていた。
人前で彼を友人と呼ぶには憚られるが、それは間違いない事実だ。
イルカは改めて今から久しぶりに会う男のことを思い浮かべ、木ノ葉通りの端にある店へ急いだ。

そこに居るのはイルカが忍として憧憬しながらも、気後れすることなく過ごせるという稀有な人物。はたけカカシ。
当初、二人が連れ立って歩く姿に、誰もが不思議そうな目を向けたものだった。
旧知の間柄でないにもかかわらず、どこに出しても恥ずかしくない里を代表する上忍と、『昇格』のしの字も掠めそうにない中忍在籍十年弱の内勤の忍の組み合わせである。
仮にそれが他人事だとして、度々その姿を見かけることがあれば、イルカ自身首を傾げただろう。
上忍が権力をカサに、中忍を太鼓持ちとしていいように連れまわしていると、眉を寄せたかもしれない。
人に説明する事でもないが、友達になるなんて単純なことからだと思う。
気が合う事もさること、それ以上にカカシが自分と同じくらい丈夫な胃腸を持っていることが、二人をちかづけた一番の理由だろうとイルカは思う。



イルカとカカシ、そもそもつるむようになったきっかけがあるとすれば、それはイルカが参加した中忍同士の飲み会の度、時と場所を同じくして、襖一枚、衝立一枚の隔たりで、上忍同士の飲み会が行われていたことにある。
けっして広くはない里の盛り場のことなので、上忍、中忍同士、最初は会釈だけで互いに干渉しないようにした。
これまたある日、狭い店で上忍中心の飲み会と中忍中心の飲み会のテーブルが、細い通路を挟んで隣同士になった。
たまたま端を陣取ったイルカの手を伸ばせば届く距離にカカシがいた。
隔てる壁がないのだから、当然イルカ達は中忍として上忍達に酌をして周った。一通りあいさつが済み、中忍達が本格的に飲みだした頃、カカシの視線がイルカに向けられた。

「イルカ先生達が食べてるソレ、何だかおいしそうですね。良ければひとつ貰えませんか?」

和食を売りにした店だったが、隠れた人気メニューに揚げ春巻きがあった。それを頬張るイルカに、カカシが声を掛けてきたのだ。

「代わりにコレ、どうですか?」

気さくな様子で、カカシは隣に座ったイルカに何かと話し掛けてくる。
それが呼び水になって、場が和んだ。
イルカはカカシと仕事場以外で会話をするのは初めてだったが、外で話せばいつもと違って、二つ名を持つ孤高の上忍といった、近寄りがたい雰囲気の欠片もないと思える。
一旦そう感じると緊張も解け、イルカはいつも通り、人懐っこい笑顔をカカシに向ける事が出来るようになった。

それからというもの、イルカが一人でふらりと訪れる食事処で、かなりの確率でカカシに出会った。
元々カカシは上忍師になるまで、里外の任務が多かったようなので、イルカが最近になってから頻繁に里内で男の姿を見ることは不思議な事ではなかった。
アカデミーの食堂、一楽、一人で入れる居酒屋から、市場の脇に設けられた小さな食堂、まさか中忍とは稼ぎの違う上忍が訪れるとも思えない路地裏の萎びた丼屋など、場違いだと思える場所でカカシと出会う。
先の酒席で、いくぶんか打ち解けたこともあり、互いに声を上げる。

「奇遇ですね」

とイルカが言えば、

「本当に、偶然ですね」と返ってくる。

イルカが勧める前に「ここ空いてますか?」とカカシが同じテーブルにつく。
一人で食べるよりずっといい。
奇縁だなとイルカは暢気に思った。
季節がかわろうと、昼夜を問わず、度々カカシと出会う。
つまりは食事を取るタイミングと店のチョイスのサイクルが似ているということらしい。年もそう違わないし、男であるし、きっと食べ物の好みが似ているのだとイルカは理解した。

イルカが外食に頼る理由はこういうことだ。
イルカは自炊はほとんどせず、しても10分以上掛かる料理など作った事がない。クナイは平気だが包丁は怖い、調味料はどれも賞味期限が切れる前に使い切ったためしがないという、典型的な炊事の苦手な成人男性だった。
出来合いの惣菜を買って、白飯だけ炊いてそれで済まそうとすると、少し足せば外で食べるくらいの額になる。
行き着いた答えは、外食の方が美味くて安心。一人きりの食卓も嫌い。
食べたいという欲求を満たしてやると、心も体もどういうわけか頑張りがきくような気がして、不経済で健康に悪いと思いながらも、ますます自宅の台所を汚さない生活を送るようになった。

友人はまだ独り者が多く、何もカカシだけがイルカと連れ立って食事をする仲間だとというのではなかったが、次は何処其処に行くというイルカが出す度々の提案に、毎回のようについて来られるのは結局、銀髪の上忍だけだったのだ。
料理は苦手だが、食べる事はイルカの平凡な毎日の暮らしの中に、3回訪れる悦びの時間だった。
ほかほかの白いご飯が目の前に差し出されるだけで、ニコニコ顔になる。カカシも運ばれてきた膳を前に眩しそうな目をしていつも微笑んでいる。
普段火影の忍としてストイックな生活をする分、食事は数少ない娯楽の一つだとイルカはとらえている。
それに同伴してくれるのが、食の好みや食べ物に対しても姿勢が似通ったカカシならイルカは大歓迎だ。
そういう前提で食事を外で済ませているのだから、酒を過ごしすぎて、羽目を外す事もない。
カカシにもイルカの思いが通じるのだろう、食事や一杯やりながらする時の話題も、過激なものは極力避け、その場を楽しむ事を守ってくれる。
そんなこともあり、二人の話題は差し障りなくアカデミーでの出来事や、下忍たちのことが多かった。
けれど上忍師の立場から、アカデミーでのイルカの指導方針がどうだとか、中忍としての姿勢を聞かせてくれ等と野暮な話は持ち出さない。
カカシは決して偉ぶらず、プライベートでの立場をさりげなく尊重しつつ、イルカの日常に起きた些細な話も丁寧に相槌を打ちながら聞いてくれる。
一方でまた、イルカが興味を持ちそうな異国の事柄を、物知りで説明の上手なカカシが教えてくれたりもする。
ともすれば、内勤者にとって自慢気に聞こえる話題でも、カカシの話ならばイルカは素直に聞くことができた。
カカシのイルカに見せる態度や、穏やかで浮ついたところのない様子に、信頼のおける人物だとイルカはしみじみ思う。それだけでなく外見もなかなかに素晴らしいのではないかと感じている。
木ノ葉は、身体の出来た人間が多かったが、カカシは中でも猫背に見せる動きをしがちだが、とても均整のとれた体をしている。
普段口布の下に隠されているカカシの素顔も驚くほど端整で、正しい明瞭な発音をする唇の動き等は、何時間見ていても飽きないほど美しいとイルカはいつも感心していた。
こんな人物を長々と眺める機会を与えられた身として、出来ればイルカ自身カカシのような男に生まれたかったと思うし、でもそうでないからこそ、目の前の人物とこうして楽しい時間が過ごせる幸運を味わえるのだと思った。

『兄弟みたいに仲良くして』

イルカの想いは、カカシを見る視線に表われるのであろう、二人を気に入ってなにかと世話をしたがる小料理屋の老年の女将は、いい年をした男同士、仲良く穏やかに飲み食いする姿が、まるで仲の良い兄弟のようだと言った。
イルカは純粋に嬉しくて笑い、カカシは照れたように微笑んだ。





そんな二人で囲む夕餉の席が暫くの間、イルカ側の事情で止んでいた。
近頃は胃と心をを楽しい食事で満たした後、次の予定を立ててからそれぞれ家路についていたのだが、一度その輪を断ち切るとなかなか歯車が上手くかみ合わない。そういえば、食う飲むの目的以外の場所でカカシとあまり話した事がない。
その間、どう頑張っても時間がとれないのだから仕方のないことだったけれど、カカシと楽しく屈託のない食事の時間を懐かしく思いながら、イルカは晴れる事のない気持ちをどうにも出来ないでいた。


イルカの同期の仲間が任務先で亡くなった―――。
その悲報を聞いたのは、カカシとともに一膳めし屋で、遅い夕食をとっている時だった。
通常なら翌朝里長を前に、あるいはイルカの場合、アカデミーでの朝礼時に聞かされるべき話である。わざわざ夜間にイルカを探し出し、知らせを持って来た中忍仲間にカカシが片眉を上げた。
食事の席で穏やかで怒った顔など見せたことのないカカシのその仕草に、イルカは内心驚いたが、それは死んだ人間の名前を聞くまでの僅かな間だった。
亡くなったのは、イルカが下忍時代に長い間スリーマンセルを組んでいた仲間の一人だった。
スギナという名のイルカと同様に黒い瞳をした、気のいい男だった。
彼には、まだ娘と呼ぶにふさわしい若い妻と、一歳になったばかりの子がいた。

「家族を持つのがこんなにいい事だとは、思いもしなかった」

生まれたばかりの息子の写真をイルカに見せながら、目を細めて笑う友人の顔が蘇る。

「まだ、早すぎるだろう…」

その男のあってはならない突然の訃報に、イルカは頭をガツンと殴られたような衝撃を覚えた。

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(2010.4.28)



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