――駄目だとか2―――

あの夜一気に食欲を失ったイルカが、カカシに頭を下げて席を立ってから三月が経とうとしている。
今夜久しぶりに会うカカシに碌な事情も伝えずに、徒に月日が過ぎてしまったことを詫びて、どうしてそうなったのか説明をしなければならない。
まるで家族のような気安さで同じ時間を持っていたとしても、放ったままにしていたイルカは、あまりに誠意がない。
約束もない気楽な付き合いだった。けれどそれは信頼に裏打ちされたものだ。
この三月の間、イルカは時折カカシを思い出し、余計うつうつと気分が晴れないままでいた。


どこから話をはじめたら分かってもらえるだろうか?改めてカカシと会わなくなった日からの出来事を、イルカは振り返った。
スギナの妻となった女性は、男が火の国での任務に就いた時に見初めて、半ば攫うようにして連れてきた若い娘だった。
彼女は自分がまだ若いことを気にしていたのか、夫の友人であるイルカ達の前では落ち着いて澄ました風を装う。それがまるで背伸びをしたアカデミー生のようで、逆にかわいらしかった。
その彼女が相愛だった夫の訃報を聞いて、人目も憚らず大声をあげて、気も狂わんばかりに泣いた。
スギナと仲のよかったイルカを含め数名の男達は、まだ妻を娶った経験のないものばかりで、正直どうして言葉をかければいいのか分からないでいた。
一般の家庭から嫁いできた女性である。やはり忍家業に就く人間の伴侶になる覚悟が少なかったことも事実で、任務で命を落とすことがあるということを想像したこともなかったようだ。
何の気構えがないまま、突然その日を迎えてしまった。そうして彼女は、ショックから立ち直れないまま、葬儀を終えた直後から、張り詰めた糸が切れたように気力を失い、床から起き上がれなくなってしまった。
そうなってしまっては希望するしないにかかわらず、この地に血縁のいない彼女と子供が頼れる相手は、夫の友人であったイルカ達だけである。
不器用な男達が集まって、野戦場でのキャンプのような生活サイクルで、残された母子の援助を始めた。
床の中で数日考え抜いたのであろう、イルカ達を前に彼女はある決意を述べた。
残された子を不甲斐ない母の手で育てるのではなく、里子に出したいと泣いた。
それを聞いた男達はそれが最善の方法であるかどうか相談しあった。
友人の遺児を忍にするなら、母子揃って里で暮らすに越したことはない。
その中で誰かがボソリと言った。
寝付いてしまった母親は、医者の見立てでは夫の亡くしたショックにより、一時的にせよ、うつ状態にある。一刻も早く、この場合は母親だけでも、忍の姿など目に入らない静かな場所ですごさせた方がよいのではないかと。
しかし、親を亡くした子供が他家に里子に出されるのは、忍の里では珍しくないことであるが、今の彼女の場合子供と離れるようなことになれば、余計に生きる気力を失くしてしまうのではないかと同時に誰もが思った。
すっかり気落ちした母親を元気付けて元のようにするには、この先どれだけ大変であるか想像できないほどだったが、彼女の息子を手放すという決意に首を縦に振ることは出来なかった。
そして幸いにして内勤でほぼ里に常駐しているイルカが率先して、友人の死を悼む暇もないほど、残された二人の為に毎日ヘトヘトになるまで奔走した。
忙しい仕事の合間を縫い起き上がれない彼女と小さな子供の為に買い出しをし、食事の用意をし、洗濯をしたりと日常のことをはじめ、里との間に立っていろいろな手続きをしたりと、とにかく考えつくだけの世話を焼いた。
親子の衣食住を満足させるだけでは心配で、母親からできるだけ目を話さないように、夜間は仲間と交代で影分身を見張りに置いたりと、息のつく暇もない。
男ばかりの手探りの援助だったが、スギナへの友情と、よるべのない母子への憐憫から、とにかく体を頭をフル回転させ、手を差し伸べた。
それでもイルカ達の手が回らない時などいくらでもある。誰にも構ってもらえず泣き疲れ、しゃくりながら眠る友の子を見ていると、イルカはやるせなさとぬぐっても振り払えない不安で、一日毎に気持ちがふさいだ。
体は芯から疲れている。心労も酷い。それがかえって、取れぬ疲れを増すことになっているのも分かっている。
これではいけないと頭の奥で声がするが、他事に気を回す余裕がなかった。
申し訳なく思いながらも、あれだけ親しくしていたカカシに、たいした訳も話せないまま月日が過ぎていく。
けれどわざわざ席を設けて説明する気力も尽きるほど、イルカ自身が疲弊していたのだった。
それを端から見て分かるのか、カカシの方は受付所でイルカと顔を合わせても、物言いたげな表情をちらと見せただけで帰っていく。
近頃やっと、そんな事情を知った今は引退したイルカ達の元上忍師の奥方が、女手を差し伸べてくれるようになった。
不思議なもので、女性の細やかな視点で家事を回せば、イルカ達の頑張りは、肩に力が入っていたばかりで、ちっとも効率がよくなかったと知れた。
買出しにしても食材の分量や後日のことを見込んでの配分など、全く頭から計算出来ず無駄ばかりをしており、幼子と伏せている半病人の為の慣れない炊事は、骨が折れるだけで余計な時間と手間が掛かった。
家事に磨きの掛かった年配の女性に口を出してもらうだけで、驚くほど物事が片付いて、時間と体力と気持ちに余裕が出てきてたイルカ達は、ようやく暗いトンネルの先にあるものが見えてきた。
しかし、自分を含め残された母子が通常の生活に戻るには、まだまだ遠いと感じていた。
何か新しい一歩を踏み出さなければならない。
気落ちして泣き暮らし、今にも折れそうだったスギナの妻も、最近では少しずつ笑顔を見せるようになった。
一歳を過ぎた息子も、変わってしまった家庭の様子に、父の死を肌で感じるのか神経質に泣いてばかりいたが、今ではすっかり元気な姿を見せてくれる。友人の死を知ったあの夜より、少し大きくなった。
子供は笑わない母親の様子に、暫くの間は何を与えても、イルカの手からは物を食べようとしなかった。それが今では雛鳥が餌を待ち構えているように、イルカの訪問を楽しみにしている。
幼児らしいぷくぷくとした頬を見て、かえってこちらが慰められた。
寂しがり屋で、無意識に父親に似た背格好の男性になつき、どうやら抱き上げるのが上手なイルカを一番好いていてくれるようだった。

***



「…で?」

久しぶりに食事を共にする相手は、イルカが待ち合わせの店に訪れた時には、すでに随分飲んでいた。
小料理屋の店内の奥に一つだけ設けられた小さな座敷でイルカはカカシと対峙している。
座敷には他にも座卓があったが、混んでいない時等、女将が気を利かせて貸切にしてくれる。

「ご心配をお掛けしました」

珍しく顔を赤くしたカカシが、話をしながらも、手酌でぐいぐい飲んでいる。
いつもの嗜むようにして上品に酒を飲み、微笑みながらイルカの話を聞いている男とは別人のようである。

「聞きましたよ、忍の子のくせに、一歳でまだオムツしてるんですって?大変ですねアナタも」

カカシは一言喋る度、猪口を一杯飲み干す。
言外に軽い侮蔑が潜んでいる気がする。その言い草に、イルカはカカシに対して初めて反発というものを覚えた。
カカシの言うその子は、三月の間毎日のように顔を見て、抱き上げる時間のない時は、せめてもと頭を撫でてあげたかわいい盛りの一歳児だ。
オムツ如きで、忍の資質を云々言われるのことがイルカは心外だった。
カカシはどういう訳か知らないが、酒の飲みすぎだろう。イルカの知っているカカシは、そんな軽口をきく人間ではない。会わない内に、悪い遊びを覚えたのだろうか?イルカは久しぶりに会う相手に、注意をするのが躊躇われて、黙って見ていたが気持ちが落ち着かない。

「ええ…まぁ、男の子だからオムツ替えるのもさほど手間はないですが…」
「ふ〜ん」

いつになくイルカに対してぞんざいな相槌を打つカカシに、今度は肝が冷えるような気がした。
そうする間もカカシは目をギュッと瞑ってグイとまた一杯飲み干す。とても美味そうだとは言いがたい。

「…で?」

久しぶりに食事に誘う口実として、相談があるからと一言付け加えたのはイルカだった。
それを促すようなカカシの短い言葉に、イルカは今までどうやってこの人物と話していたのだろうと不安になった。
だいたい相談を持ち掛けれた側が、最初から酔っ払っているなどという話はあまり聞いたことがない。

「…残された奥さんの方は夫の訃報を聞いて、当然なんですが、憔悴しきって半月ほど寝込んでしまいまして…。俺もその間が、見ていて一番辛かった時期です。子供の方も母親に甘えることも出来ずに、本当に可哀相でした」
「二十歳前だからって、その未亡人だって母親には違いないんだから、いくらなんでも情けないじゃありませんか」

酔っているにもかかわらず、間髪いれずにカカシが反してくる。

「うちのサクラの方が七つも八つも下なのに、しっかりしてますよ」
「そ、そうかもしれませんが…、遠い場所から嫁いできた人だから、余計心細いところもあったでしょう」

イルカが反論するように少し大きな声をだせば、それを遮るようにカカシが「おねーさん、コレもう2合おかわり〜」と声を張り上げて酒の追加をした。

「カカシさん…、あの…」

カカシは酒が切れたのをもてあまし、立てた方膝に頭を乗せて背を丸め小さくなっている。
今夜のカカシは本当にどうかしている。
確かに一友人として、あれだけ頻繁に会っていた人間と連絡も取らなかったイルカに負がある。
更にカカシがイルカを労ってくれるのではないかと、密かに虫のいいことを考えていたのも事実だが、それは勝手な期待だからしょうがない。
けれどこちらをまともに見ようとしないカカシの態度はあまりに大人気ないとイルカは思う。

「相談というのは何でしょうか?」

ボソリと声がした。

「あなたが何を言いたいのか、うすうす分かっていますけれどね…」

あ〜駄目だと呻くようにカカシが言った。
イルカは聞き取れない言葉が気になって、瞬きを繰り反す。

「もし、死んだのが奥さんの方だったら、イルカ先生たちは、よってたかって世話焼きに行かれたんですか?」
「え?」
「噂、知らないですか?」
「何の噂ですか?」
「夫を亡くしたばかりの、若くてかわいらしい未亡人の弱みに付け入って、何か企んでました?」
「え?何の話です…!?…まさか、俺達にそんな余裕なんてあるはずないのに…噂って…。周りで見てた人達はそんな風に…?」

疲れが滲むイルカの顔が、みるみる青白くなっていく。

「分かっていますよ。イルカ先生がそんな馬鹿なことをするはず無いじゃありませんか」

ここへ来て久はじめて、イルカのよく知るカカシらしい言葉を聞いた。
それでもまだカカシは俯いたままでいる。


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(2010.4.28)



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