夏の夜の夢4


 そんな想いを抱きながらも、ナルトを含めたその年の新人の下忍達を上忍師が揃って中忍選抜試験に推挙した時は、火影を含め大勢の人間の目の前でカカシはイルカと少なからずやりあった。
 カカシとしては数ヶ月でめざましい成長を見せる下忍達の実力を信じ、過酷な試験を乗り越える事でさらに飛躍的な成長を期待できるとして、よくよく考えて推挙したつもりだった。
 試験に際し危険を避けられないとしても、このチャンスを無にすることは出来ない。隠れ里に生まれた者として誰もが通らねばならない道。しかも今回は木ノ葉で開催される為、大手を振って最悪の事態が起こらないよう影ながら見守ることができる。それをイルカが反対した。下忍達が試験を受けるには時期尚早と真っ向から反論を述べた。
 教師として何年も子供達を見てきた彼がここまで反応するのも無理からぬ事と頭では解りながら、自分は彼にそこまで信頼されているのではないと知ったことに落胆した。激しく反対意見を述べるイルカに、カカシ自身が批判されている気がした。
 過去、下忍達をやみくもに危険にさらしてふるいにかけ、そこから将来有望な者のみを残す上忍師もいた。もしここで彼がその例を挙げてカカシを同列に扱うなら自分はとても平静ではいられない。焦るその心が辛らつな言葉をカカシに吐かせた。
 周りのとりなしでとりあえずその場は一旦収まった。
 火影が中忍試験の仔細を担当者に語らせた後解散を命じたが、いつものようにさっさと姿を消す気にもなれず、重い足取りで出口に向かおうとした。するとカカシは他の上忍師仲間に名前を呼ばれた。
 振り返ると部屋の対角線上に同じく名を呼ばれたイルカの姿があった。すぐに駆け寄り謝罪の言葉を告げたいような、それでいて許せないような複雑な気持ちにカカシは顔をしかめた。気心の知れた上忍師達が黙っている自分に代わって口々に告げた。
「カカシ、ムキになるなよ。…面倒クセぇ」
「そうよ、一人ではりきっちゃって。別にイルカはアンタ一人の意見に反対したわけじゃないでしょうに。うちの班の子を試験に推した判断基準をイルカに伝えたくても、口も挟む暇なかったわ」
 今回の中忍選抜試験に同じく下忍を推挙したアスマと紅が口を開いた。
「まぁ、下忍たちの未来につながる話だからな。お互い熱くなるのも無理は無い。意見を戦わすのは結構だが反目し合うのいかんぞ」
 先程、試験をもう一年待つのも子供らにとって悪い事ばかりではないとイルカの肩を持ったガイが言う。
 自分が声を荒げた理由はそれだけじゃない。一言口をきけば、それ以上の思いが溢れ出てしまいそうでカカシは沈黙を守った。
 当のイルカも項垂れるようにして床の一点を見詰めている。紅が指摘したように、イルカは特別手を焼いたナルトだけでなく他の下忍を担当する上忍師達に意見したのだ。先程は上忍師の立場で強い言葉を告げてしまったが、彼がいたたまれない気持ちでいるかもしれないと思うと、カカシは他の人間がイルカに何か言おうとする前に口を開いた。
「イルカ先生」
 イルカは眉根を寄せたまま顔を上げた。
「幼い頃から沢山の忍と対峙してきました。だからこそ分かるんです。あいつらはきっといつか俺が辿りつけないような高みに上ることが出来る。まだ何も形をなさないけれど、あの小さな身体はマグマのような計り知れないエネルギーを秘めている。危険が待ち受けてるかもしれませんが、今が彼らを成長させる最たる時かもしれない。子供達の事は命に代えても守ります。どうか俺の事を信じて下さい」
 語尾が小さくなった。過去に、カカシの判断を支持しない者に対し、いちいち自ら言葉を連ねて気持ちを伝えることなど今までして来なかったのだ。早くに上忍まで上り詰めたカカシの周りは大人しかいなかった。そのことが今悔やまれる。慣れないことをして気持ちの落ち着かないカカシをイルカが見ていた。
「カカシさん…」
 イルカのいつも通りの声の響きにほっとした。例え今回の事で距離を置かれるようになったとしても、少なくとも自分からは同じように彼に接していいのだと思いカカシは安堵した。
 ふいにカチンとアスマがライターの蓋を鳴らした。煙草を我慢していたのが限界に来たらしい。
 それを皮切りに心配そうに遠巻きに成り行きを見ていた人々がホッとした表情を浮かべ部屋を後にしだした。
 タンとカカシの肩を叩いてアスマが紅と並んで歩いて行く。その波に乗ってイルカがカカシの目の前に進んできた。
「出過ぎた事を申し上げました。じっくり時が満ちるのを待つのも大切ですが、あの子達に関してはあなたの仰る通り、今を逃すべきではないかもしれません」
 そこでイルカはしっかりと頭を下げ、更に告げた。
「けれど下忍達が中忍試験に臨むべきか否かは、これから自分の目で見て判断するつもりです」
 言外に必要があれば体を張ってでもその時は止めると、イルカの強い眼差しが語っている。カカシは微かに失望を抱きつつその黒い瞳に向かって小さく頷いた。
「ただ、これだけは言わせて下さい。人より優れた力や忍術が使えることは忍としての一面でしかありません」
 目の前にいるイルカは俯き加減にしていた顔を真っ直ぐにカカシに向けた。その声は少し怒っている様にも聞こえる。
「心・技・体、支える精神。培われた経験。私が一生火影である三代目に追いつけないように、あの子達が師である貴方を越す日は遥か遠くです。それもこれから先のあの子達の生き方次第です」
「…イルカ先生…」
「貴方ほどの忍が五大国の中に一体どれ程いるでしょうか。カカシさんの元で学べるあの子達は幸せです」
 イルカの黒い瞳がカカシをじっと見詰めていた。
「どうぞこの先も子供らの事をよろしくお願いします。今日は未熟な意見を申し上げて、まことに…」
 口を挟めないままカカシはそこで右手をかざし、はっとするイルカに向かって小さく首を振り、それ以上の言葉を制した。イルカは困ったような顔をして、もう一度カカシに向かい丁寧に頭を下げ部屋を後にした。
 いつもの通り待ちぼうけを食わせている第七班の元へ向かいながら、カカシはイルカの言葉を反芻した。誰かに褒めて貰う為に生きている訳ではない。賞賛の言葉なら数え切れないほど浴びてきた。単純に喜んでいたのは遠い昔の頃だけで、今や耳にも残らない。仲間は誰も頑張っているし、自分一人が特別な事をしているわけではない。
 けれどイルカが言ったのは、カカシが黙々とやって来た事を、誰かが見てくれていたと実感する言葉だった。イルカは自分を見てくれていた。
 何を返せるだろうか―――あの人に。
 自分のことをイルカが認めてくれているという事実だけでカカシは泣きたい気持ちになった。同時に心から、より忍として強くなるのだと、近頃忘れ掛けていた気持が湧き上がってきた。イルカにとっては迷惑なだけに違いないだろうが、これが恋だと言うのなら、なんという力を秘めているのだろうと感じた。


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(2011.12.18)





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