夏の夜の夢9


 気だるげな足取りで女がやっと去った。カカシが宛がわれたのは美野屋の離れである。
 籠る臭気にカカシは顔をしかめた。 
 祭りの間は窓を開け放つことが禁じられており、カカシは無双窓の連子の隙間から僅かに入ってくる外気を吸おうと寝乱れた布団から起き上がった。
 女が触れていた場所が気持悪くて仕方ない。しかし客は朝陽が昇るまで部屋から出歩く事も禁じられている。
 夏の里では美野屋だけでなく他の家々でも同じ用に客を招いて祭事が行われており、招待客が他の家へ渡り歩くのは縁起が悪いとされていた。


 前夜、顔形が分かる程度に灯がともされた薄暗い大広間で、祭りに参加する夏の里の女達のお披露目があった。
 円座した招待客の男は十二名。カカシが数えたところで三十人を越す女達が入れ替わり立ち代り客に挨拶をした。中には見習いのような少女も入れば、カカシが十年前にここへ来た時に見た覚えがある女も居た。
 里一番の薬種問屋として隆盛を誇る美野屋には、次世代の働き手を孕む事が可能な、健康で美しい女が集められているようだった。
 招待される客の方も、夏の里の効能の高い薬草の買い取り手である取引先から選ばれていた。彼らなら少なくとも今後の商売に禍根を残すような振る舞いはしないだろう。
 これまでに美野屋に上がり込んでから充分幻惑の香を振舞われた客たちはすでに冷静な判断力を失っている。狭い空間に押し込められ続け客達が焦れた頃にやっと女達が姿を現すと、暗がりでも分かる美貌に男達は息を飲み、闇によって敏感になる鼻で女達の体臭を嗅ぎ、興奮からため息を吐いた。男達からは、彼女らの姿がまるで自分達に捧げられた供物同然に見えた。
 たおやかな足取りで現れた女達は、一人ひとり違う模様が刻まれた、小さな素焼きの杯を載せた三宝を掲げていた。その木でできた三宝を手に順番に男達の前に端座して頭を下げ、決まった口上を述べると、艶のある微笑みと共に恭しく一つの杯を取り客に渡した。
 女達は一定間隔で鳴らされる太鼓の音に合わせて席を立ち、次の客の前に移動して同じ事を繰り返した。
 この僅かな見合いの間に、明日の本祭りの相手を互いに選ぶ事になっていた。女が客を気に入れば、自分にしか分からない承諾の模様が入った杯を渡し、気に入らなければ、同じように拒否の模様が入った杯を渡す。
 客の方も抱きたい女がいれば貰った杯を取り分けておき、与えられた自室の前に杯を置く。晴れて双方の合意があれば女が客の下へやって来ることになっていた。
 一見選択権は夏の里の女にあるようだが、暗黙の掟として歳を経て祭りの参加回数が多くなるほど、女は客人に対し承諾の杯を多く振舞わねばならなかった。客の方も渡された杯を全く返さないことを禁じられており、不味ければ来期の招待や夏の里との取引が危ぶまれることとなる。


 カカシは宛てがわれた部屋に戻ると女達から受け取った杯を適当に減らして障子の向こう側へ置いた。もとより特別誰かを選ぶ気もない。やがて衣擦れの音がして、店の人間がカカシが返した杯を下げて行った。
 夕べ儀式的な見合いを終えると、男達はそれぞれに店の者に案内されて方々の決められた部屋へ散った。それからは食事と厠以外部屋に一人で置かれ、仲間の姿を目にする事はなかった。廊下には客人の用事を言いつかる為に、また見張りの為に美野屋の手伝いの人間達が番をしている。
 昨日、女達のお披露目など、祭りがようやく動き始めてからは、あの真面目な青年はさぞや戸惑っていることと思っていたが、離れたところに座るイルカは、他の二人の仲間同様しっかりと勤めを果たしていた。
 背も高く涼しげな顔立ちをした若者は、鼻梁をまたぐ大きな傷がありながらも威圧的なところがどこにもない。挨拶に訪れる女達とまっすぐに向き合い、丁寧な手つきで杯を受け取っていた。沢山の子供や忍を相手に懸命に仕事をして来たイルカの人としての姿が見える。
 その存在感は居並ぶ大名の子息や豪商の主人といった客人の中に居ても不思議な事に目立つほどだった。
 イルカは充分に男としての魅力を持っている。改めてそう気づき、誇らしく思うと同時に心が痛んだ。カカシは今更じゃないかと自分の未練を呪った。


 何人目かの女が退室した後、カカシは仰向けに寝転んで、自分が置いた杯は全部でいくつだったか思い出そうとした。目をつぶり次の女が訪れるまで少しでも時間が空いて欲しいと思う。
 うとうと仕掛けたところで、外に微かな人の気配を感じた。ここは離れである為に、建物の中に見張りはいない。カカシは障子に映る影を見て声をあげそうになった。こんなことなら先程の女をさっさと返すべきではなかったと舌打ちをした。
「アンタ誰の許しを得て入って来てるわけ?」
「………」
「…もう何人ヤッたかわからないくらい、こっちは疲れてるのヨ。男なんて冗談じゃない」
 カカシは殊更冷たい声音で言った。それでも長身の男の影はたじろぎもしない。
「あぁもう!どうしてもって言うなら、後ろを自分で解かして俺にまたがってよ。俺のが勃つかわからないけど」
 カカシが障子に腕を伸ばすフリをすると、尻餅を突きそうな勢いで身を翻し、その影は逃げていった。走り去る気配を追いながらカカシは両手で自分の顔を覆った。
「駄目だよ、イルカ先生」
 カカシは自分の耳に言い聞かせるように小さく呻いた。




 

next→10

(2012.06.07)




textへ戻る↑