大喧嘩11
後輩が持って来たのは、とんでもない情報だった。珍しく興奮した顔で、その男はカカシに向かって先輩と呼び掛けた。 「僕はシーラカンスに会った気分です。想像以上に怖い存在ですよ、先輩」 相手を太古より姿を変えずに生き延びた古代魚に例えた。 「あの人物に関して端からノーマークで動いていましたが、ひょっとすると、中忍を一人手土産に里を出たんじゃありませんか。あの老人こそが、砂隠れの草がよこした情報にある、里抜けを企む男じゃないでしょうか」 「あの人が忍を引退したのは随分前の話だよ」 カカシが少し呆れたように言った。 「いえ、いくら僕らの先輩だからといって、信用していいとは限りませんよ、カカシ先輩」 この男の、印象的な黒い穴のような双眸は、感情が掴み難い。 「お前さ、俺の事だって百%信用してる?」 「仕事面に関してだけは……、って言わせないで下さい。発つ前に、現在里外に出ている人間の情報を精査しましたね、それとあの老人が口にした事とは話がくい違っていた……、この事実を知っていながら、僕らはそれを無視していいんでしょうか」 護衛として付き添いの任務に就いている中忍の婚姻を勝手に決め、かつ火影印のある証書を偽造した疑いがある。カカシの後輩に当たる男は、その事を繰り返し訴えて来る。 ツーマンセルでAランクの任務を終えた後、急遽、里抜けの報を受けて、カカシと暗部の後輩の二人は抜け忍探しをしていた。間もなく始まる中忍試験の本選を前に、キナ臭い話があちこちから上がって来ている。 上忍師といえど、昼は下忍の面倒を見て、夜は任務に駆り出される。途切れ途切れの仮眠を取り、身の回りの事もままならない生活が続いた。そうでなくとも、イルカとの関係は、最悪の局面を迎えていた。彼に殴られそうになった翌日から何の手も打てないまま、仕方なくAランクの任務で里を離れていた。そこで、後輩が運んで来た情報にカカシは固まった。 イルカが任務に出ていた事に驚いたが、後輩が掴んで来た情報に真実味を覚えなかったし、カカシは彼がそんな事に関係しているとは露程も疑いを持たなかった。 ただ、気にならないと言えば嘘になる。カカシでなくとも、イルカを気に入って、色々な世話を焼きたいと思う人間は他にもいるのだ。後輩のいう老人が、イルカを連れて行きたいと考えていたら、それを火影が許したら、すぐにでもまとまってしまう話なのかもしれない。 「からかわれたんだよ、お前は」 「いいえ、あんな怖そうな人が冗談で言ったりするもんですか。……僕、あの頃の年代の男の人って、ちょっと苦手なんです。どこに本心があるのか分からなくて」 き真面目な後輩が渋い顔をするからには、本当に苦手なタイプなのだろう。 百集めた情報で、正しく有益な物は一つあればいい方で、それでもふるいに掛けて何かつかみ取らねばならないのが忍だ。空手に終わっても、粘り強く動かなければならない。 本当にもしも、イルカが抜け忍になったならば、あり得ない事と思いながらカカシは考える。追い忍を迎え撃つのは、この手だと思った。 「わかったよ、俺がもう一度確かめてくるから、お前は他当たって」 カカシは告げると、すぐさま目指す一行を追った。 ** 會津屋を出て、イルカは辺りを見回した。気になるのだから仕方が無い。カカシがいないのを確かめられたらそれでいい。イルカはカカシになったつもりで、この広くない東西二キロほどの宿場町を歩く事にした。 よく晴れた空に、星がまたたいている。風は少し湿り気を帯び、標高の高いこの町はまだ夜になると少し寒い。街道沿いの建物の中から、時々話し声が聞こえるが、通りに人の姿は無かった。 旅人は朝が早いので、この町はそろそろ眠りにつく。イルカは散歩をしているような軽やかな足取りで、夜風に吹かれて歩いた。風上から犬の臭いがした。風はイルカ達が明日通りぬけるはずの、宿場の西口門辺りから吹いて来る。 門の隣には寺が建っており、広い境内が通りとつながっていた。星明かりを背に、黒々とそびえ立つ寺の鐘楼の影の中に人の気配を感じて、イルカは少しずつ近づいていった。聞こえないはずの心臓の音が耳の中で響いていた。 「……カカシさん」 「はい」 カカシの前には白っぽい毛の犬がいて、何やら懸命に食べている。 「ホラ、これで最後」 手に持っていた干し肉の欠片を犬の鼻先に放ると、カカシはゆっくりと立ち上がった。犬はすばやくそれを口にくわえると、カカシとイルカの間をすり抜け、街道に並ぶ家々の影に消えた。訪れた静寂の中、口を開いたのはカカシだった。 「あのコね、どこかで子供生んだばかりじゃないのかな。腹が減ってたみたいです。それより、どうしたの先生?」 「あ、貴方こそ、どうして」 隠れ里を離れ、戦場でもなく、人家や小商いの店が並ぶ町の中に佇むカカシは、イルカの目にひどく普通の男に映った。 「俺はね、任務の帰りです」 「……そうですか」 ここで会う事が偶然ではないと感じても、それをイルカが問うていい事なのだろうか。それでも一つ見過ごせない事がある。イルカ達と時間を置かずして宿場町に入ったはずなのに、カカシの身体から未だ埃りと汗の臭いがした。イルカは黙っていられなくなって尋ねた。 「カカシさん、宿はどちらに取られたんですか」 「ん〜……、次の任務の予定があるから、すぐにでも里に帰るつもりだったので、面倒だから宿はとりませんでした」 干し肉を掴んでいた方の手指をはたくと、カカシはいつものように両手をポケットにつっこんだ。 「カカシさん、今日は、俺達と同じ道を歩いていましたよね」 カカシの右目がイルカに疲れたような視線を寄越した。 「どうしてって……、まぁ、ヤボ用があったから」 拍子木をカンカンと鳴らしながら、夜回りをしている一団が遠を歩いている。 「話は宿で伺います」 「あ〜、そういうわけには……」 イルカは夜警の人影にちらりと視線を向けた。 「よそ者が夜中に外をうろついているのは歓迎されません、不審に思われでもしたら後々問題ですから」 木ノ葉の忍に好意的な土地でも、その町の最低限のルールに従うのがよいとされる。特に小さな町では、旅人は夜の間は大人しく旅籠宿で過ごすのが好ましい。 「行きますよ」 「ですが……」 考え込んだ様子で動かないカカシの肘を掴んで、イルカは歩き出した。布地の向こうに、しっかりしたカカシの肉と骨の感触がする。自分の意志でカカシに触れたのはいつぶりだろう。掌から肌の暖かさが伝わって来る。振り払われなかった事に、イルカは何故か目の奥が熱くなった。 大人しく従うカカシを連れて、宿の人間に断りを入れた。この會津屋という旅籠は木ノ葉の里となじみ深く、多少の事なら大目に見てくれる。 曲がりくねった廊下を歩きながら、とりあえずカカシを部屋に入れて後、すぐにでもイルカが同行している老人にこの事を伝えようと思った。イルカがカカシを探しに宿を出てから一時間程しか経っていない。まだこの時刻なら起きているだろうと思った。 カカシの事をどう説明したら、話がしやすいだろう。ぐるぐると頭の中を様々な考えが巡った。イルカが自分の部屋に辿り着いたとき、中から話し声が聞こえた。 →12へ (2014.6.18) |