大喧嘩12




「おかえり」

 イルカの影分身が本体に向かって声を掛けた。その影分身は、老人と向かい合って将棋をさしている。イルカの後ろで、老人と目が合ったカカシが動きを止めた。それに合わせてイルカの影分身が煙となって姿を消した。

「突っ立ってないで、部屋に入ったらどうだね」

 イルカとカカシは促されるまま六畳程の部屋に入り、将棋台を脇にどけて、老人と向かい合わせに座った。
 老人は腕組みをし、イルカから少し下がって座るカカシを眺めた。埃っぽいナリのカカシは、よく見れば肌の見えている箇所にところどころ擦り傷の痕が見える。忍服にも裂けている場所がある。分かる人間がみれば、血を見るような任務に就いた後だと気がつく。老人は忌々し気に溜め息を着いた。

「お前さんが、どういう了見で俺達をつけたのか聞かせて貰おうか」
「お待ち下さい」

 イルカがすぐに反応した。

「カカシ上忍がこの町に来たのは任務です、ただそれだけです」

 カカシは背筋を正したまま、頭を垂れた。

「へぇ、イルカ先生は事情を知っていなさるのか」
「任務内容を知る事は許されませんので、存じておりません」
「それは忍の言い訳だな」

 老人が二本の指でトンと畳を叩いた。イルカは内心冷や汗をかいた。老人が先日の暗部にしたように、カカシを責める事だけは、どうにか辞めさせたい。
 そして同時にカカシが父娘に対して、詮索めいた発言をするのを止めなければならないのだ。任務に就いている限り、依頼人の利益を守る事こそイルカに求められる。

「俺は野に下った人間だ。もう忍じゃないんだよ、先生。忍の都合を押し付けられていい気分はしない。それに、いくら相手が上忍や暗部であっても、望まない事をされたら、その事実を木ノ葉の里長に訴える権利だってある、はたけカカシが来ようが、黙っちゃいない」

 老人は淡々と言葉を続けた。

「確かに木ノ葉に俺達の道中の守りを頼んだが、先生にもわざわざ市井の人間と同じ格好をしてもらっているように、娘には殊更、父親が忍だったと言う事を意識させたか無いし、着いた土地でそれを宣言して回るつもりも無い」

 ならば、木ノ葉の忍を旅に同行させなければよかったのだという考えもあるが、人々からの依頼料によって里は成り立っている。今回の様に、忍という事を隠して任務に当たって欲しいという依頼が舞い込む事もある、そういった要望に応える以上、細心の注意を払ってしかるべきなのだ。
 老人の言う事はもっともで、イルカも己の判断でここへカカシを連れて来た事が失敗だったと思った。

「アンタのような忍と分かる人間が、周りにいるってだけで、迷惑を被る人間がいるのを知らねぇかい?」

 老人の言葉は止まない。宿にカカシを引っ張って来なければ、この状況は避けられた。イルカはいたたまれなさに、身震いしそうになる。

「俺の家は娘が三人居る、父親が忍と知れたら、いい縁談があっても駄目になっちまう。若い奴らには分からねぇ話かもしれねぇが、世間様っていうのはそういうものなんだ。アンタ、責任取れるかい」

 イルカの後ろに座るカカシは微動だにしない。中忍を十年近く続けるイルカは、聞こえは悪いが人に頭を下げる事に慣れている。必要なら悪くない頭も下げると心に決めている。中忍なら下忍からの突き上げもあるし、上位の者から頭を押さえられる、イルカはさらにアカデミー生の保護者からも叱咤され、面倒をみた生徒に関しては、いつまでも何かしらの責任がつきまとう立場にいる。だが、頭を下げる事に慣れてみたところで、それを他の人間にもさせたいとは思わない。カカシはイルカの尊敬する上忍の一人だ。老人とカカシが鉢合わせたのは、イルカの責任である。
 その顔を見るまでは、腹が立って仕方ない相手だったが、峠の茶屋で疲れた様子のカカシを前にして、憐憫の情を抱かずにはいられなかった。

「それともお前さん、本気で俺が怪しいと踏んで、追いかけて来たのか」

 老人は鬼瓦のようないかつい顔を、さらに険しくさせた。
 暗部の男を追い返した時の様に、次にどんな厳しい言葉をカカシに浴びせるのか、イルカは簡単に想像する事ができた。その場面を目にしたくないと思った瞬間、身体が動いた。

「私のいたらなさのせいで、ご不快な思いをさせてしまいました、申し訳ありません」

 イルカは手をついて頭を深々と下げていた。

「先生……」

 上から咎めるような老人の声がした。

「上忍はたけカカシが、この場にこうしているのは、私の度重なる失策に依るものです、決して貴方の仰るような理由はございません……」
「いいえ。はたけカカシ、厚かましくも、ご老体にお願いがあってまいりました」

 言葉を遮られたイルカが驚いて顔を上げると、老人を正面を真っすぐに見るカカシの姿が目に入った。

「任務終了の折には、うみのイルカを必ずお返し頂けますよう、お願いに参りました」

 居住まいを正したカカシが、ピタリと手をついて身体を折った。

「ほぅ」
「この者は、里にとってなくてはならぬ者、私のような忍術に長けただけの人間より、よほど必要とされる者です」

 老人がふう、と長い息を吐いた。

「人聞きの悪い事言いなさんな。この先生には縁があって、この旅路に同行してもらっちゃいるが、まるで俺がこのお人をそそのかして、里に戻さ無ぇみてぇな言い草だな」

 イルカは暗部の前で老人の嘘に合わせて小芝居を打った時の事を思い浮かべた。今となっては、どれもこれもカカシに申し訳ない事だらけだ。

「あの暗部の野郎は、アンタの部下か。天下のはたけカカシは、あんな報告を鵜呑みにしたかね」

 カカシは一度顔を上げ老人を見たが、再び銀の髪を揺らしながら頭を下げた。

「私に対する処断は如何様にもお気の済むように、この者が里にあるのなら、……何の不足もありません」

 カカシの言う言葉の意味を理解しようとして、イルカは胸が詰まった。

「わざわざそんな事を言いに来たのかい」
「……」

 カカシは黙ったまま尚も頭を下げ続けている。

「ふ…ん、代わるがわる頭を下げるとは、それが木ノ葉の、はやりかい」

 その時、トントンと控えめに入り口の襖を叩く音がした。

「お父さん、まだ寝ないの?身体に障るわよ」

 廊下から娘の高い声がした。

「……今行く」

 老人は立ち上がると、二人の顔を交互に見た。

「話はまた明日にでも」

 そう言い残すと、あっさり出て行った。
 廊下で歩く人の気配が遠ざかるまで、イルカとカカシは黙ったままでいた。二人きりで、こうして静かに過ごすのは、とても久しぶりの事のようにイルカは思えた。それだけでほっとする。互いに任務中であるために、私情を挟まずに平静でいられるのかもしれない。
「申し訳ありませんでした、……カカシさん、俺がうかつでした」

「いいえ、それを言うなら俺の方こそ、ごめんね。これで失礼しますから、……ああ、夜警には見つからないようにして行きますので」

 立ち上がろうとしたカカシのズボンの裾を、咄嗟にイルカは握りしめていた。驚いたカカシが振り返ったが、気の効いた言葉が見つからずに、イルカは口を開けたままカカシを見上げた。

「ここに、いてもいいの?」

 言いたい事なら山ほどあった。先程口にした事はどういう事なのか、それをカカシの口から聞きたい。

「イルカ先生、どうしたの?」
「あ、明日、一緒に叱られてくれないんですか……?」

 口から出た間抜けな言葉に、イルカは顔を赤らめた。






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(2014.7.18)




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