大喧嘩14



 カカシに抱えられたまま、寝具に横になっていた。情けない顔をしているに違いなかった。イルカは顔を見られないように、しっかりとカカシの肩口に額を押し付けていた。

「眠っていいよ」

 カカシとこうしているのは、どれくらいぶりなのか。大きな安心感に身も心も満たされていく。一気に睡魔が訪れるが、イルカはまだ眠りたくない。明日目覚めたら、嘘にならないだろうか。それが怖い。

「カカシさん、……怒ってないんですか?」

 イルカにはカカシと喧嘩をした際にそれなりに言い分があった。年上で階級も上のカカシを立てて、聞きたい事も聞かず言いたい事も言わず、無理に我慢を重ねた結果、あの日とうとう爆発してしまった。
 しつこい怒りがいつまでもイルカの中に居座っていた。それは恋人に過度の期待を抱いていたせいかもしれない。昨日カカシを見掛けた時には、怒りより彼に対する心配の方が先に立った。すぐれた忍であるが、生身のカカシはイルカと同じ普通の男なのだ。解決出来ない問題があってもいい。こうしてカカシと一緒に居て心安らぐ自分の方が、怒りに捉われている自分より、よっぽどイルカらしくいられる。
 今の心境になってしまえば、散々な態度を取って来たイルカに対し、カカシこそよくぞ愛想が尽きないでいてくれたと思う。

「ん?、イルカ先生が何も言ってくれないから困りましたが」

 カカシの手が子供にするようにイルカの髪をすいた。

「何も話さないのも、ワガママみたいなものかなって。恋人のワガママを聞いてあげるの、ちょっと楽しいでしょう」

 カカシの腕の中で、イルカがもぞりと動いた。

「ごめんね、ワガママじゃないよね」

 カカシの優しい手が浴衣越しにイルカの背をなでる。恋人の腕に収まりきらないぐらいの大きな男の背だ。そんなイルカに何も言わないでいいと言ってくれるカカシ。ただ猿の子のようにしがみついている自分が恥ずかしく思えた。

「カカシさんの過去に、嫉妬してたんです」
「え……?」
「みっともなくて、言えませんでした」
「やきもち?」

 ここまで話しながら顔を隠しているのも卑怯な気がして、イルカは顔を上げた。すぐ目の前に、困ったようなカカシの顔があった。

「誰かに何か言われましたか?」
「……いいえ」

 視線を彷徨わせながら考え込んだカカシが、再び困った顔でイルカを見た。

「隠す事も無いから言いますが、嫉妬して貰えるほど、いい付き合いをした経験なんてないですよ」

 イルカが小さく首を振るので、カカシは困りきった顔で何度も瞬きをした。
 あなたの亡くなった友人にさえ嫉妬していたのだと、イルカは打ち明けてしまおうかと思った。イルカがそこまで女々しい男だと知ったカカシと、埋めようの無い溝が出来てしまうかもしれないが、それも全部自分の弱い心が招き寄せた結果なら仕方が無い。カカシの周りに立つ人間は皆、強く気高い。きっとカカシに写輪眼を託した親友もその一人に違いない。負けて当然の相手なのかもしれないと思うと、肩の力が抜けた。
 しかし、イルカが口を開くのを、カカシの真剣な眼差しが遮った。

「過去に、好きな人間が居たことは確かにあります」

 イルカは思わず息を止めた。自分の醜い心の内をさらけ出すのなら、カカシの告白も甘んじて受け止めねばならない。

「結婚を求められたら、断らなかっただろう相手も居ました」

 カカシがそんな人に出会えていた事を、イルカは素直に羨ましく思った。だが、それ以外の気持ちを整理するより早く、胸の奥から襲って来る鈍い痛みが、乾いた目から涙を押し上げようとした。

「でもね、それは俺の人生の中で、ほんの僅かな時間の出来事です。この先ずっーとアナタを想っている時間に比べたら、…………、……泣かないで」

 イルカは顔をしかめて泣いた。泣き顔を隠そうとすると上を向かされ、流れ出る涙や鼻水は、カカシの浴衣が全部吸い取った。

「ごめんね。……泣かないで、俺の大切なイルカ先生」

 うわ言のように、イルカが何かを呟いた。カカシが耳を近づける。何度目かにようやく言葉になった。

「カカシさんが、好きです」

 この思いの前では、見栄や虚勢も、性別も、何の力を持たない。好きと、素直な気持ちを口に乗せられないのがどれほど苦しかったか。
 愛しい男の姿がイルカの瞳に映る。そのイルカをカカシが抱きしめている。涙に目を滲ませた恋人に顔を寄せ、カカシは唇をそっと合わせた。




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(2014.9.24)



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