大喧嘩6



カカシは追いかけて来なかった。
思わず気分が昂って泪を見せてしまったが、イルカは泣きたかったわけではない。
過去に親しくした相手に泣かれて、イルカが本気でなぐさめようとしたり、抱きしめたくなったりしたのは、本当の事を言えば子供に対してだけだ。女性の涙を前にして、オロオロするかしまったと思うか、そんな事ばかりだった。自分は情のない人間なのかと悩んだが、ナルトやカカシに出会い、今になって分かるのは、好きに次元があるという言う事だ。
数日間ほったらかした上、カカシはイルカを追いかけて来なかった。それが彼の答えで、男同士の恋の結末なのかもしれない。
同性というただでさえ面倒な関係だが、終わりはあっけない。身体の関係だって、男女に比べれば遊びみたいなものだ。後腐れ無くて当然なのだ。
カカシに言いたくて、終わりまで胸にしまっていた事をとうとう口にした。言えば、二人の関係に見えない溝が出来ると思っていた。表情はかわらなかったが、カカシも内心うんざりした事だろう。
見えない溝は最初からあったのだから、イルカがここまで我慢する必要も無かったのかもしれない。でも、本当に言うつもりは無かった。
あの人は自分を裏切っている。裏切っている事さえ気づいていない。だから言いたく無かった。それでも、ただ黙って何も知らない顔をして二人で過ごすのは悔しかった。


思えば、今まで我慢の連続だった。
カカシとの男同士の関係を公にする訳にも行かず、イルカにとっては窮屈な恋だった。しかし、秘密の恋に気持ちが昂ぶり、堪えなければいけない状況が逆に刺激になっていた。
二人きりになれば、我慢した分を取り返すようにイルカはカカシを愛したし、朝まで離れる事無く、異性の恋人と経験したこともない夜を何度過ごした事だろうか。
そして、昼間はお互い知らぬ顔で過ごした。受付所や報告所で視線を交わす事はあっても、木ノ葉の同僚として振る舞うだけだ。
だが、だんだんと時間が経って来ると、理不尽な我慢を強いられているのではという思いが消えなくなって来た。
イルカは、カカシを我がものにしたいくノ一達の恋の鞘当てを目にした事もある。カカシもイルカを盾に彼女等を退ける訳にもいかず、適当にあしらっていた。しかし、意中の相手がいるという決定打を繰り出せない為に、女達が簡単に諦めることもなく、メンバーが変わるだけで、カカシを巡っての攻防は細々とだが途切れると来なく続いている。イルカなど足元にも及ばない、カカシにふさわしい女性が現れる事もある。カカシは変わらなかったが、そんな時は綱渡りでもしている様な気分だった。

イルカはその時思った。周りに認められない関係というのは、二人で懸命に守り育てていくしかないのだ。
結局それが自分達には出来なかった。イルカは二人の関係をいつまでも続けたいと望んでいたが、カカシはどうだったのだろう。カカシの錆や刃こぼれ一つない手入れのいき届いた忍具を見る度、この身とひきかえて、くだらない嫉妬を覚えた事もある。そうさせたのはカカシだ。
数日前の喧嘩は、まさにイルカの心の中にあった様々な思いを、はっきりと浮かび上がらせた。
人前ではカカシを恋人とも呼べずに我慢していたのに、まざまざと現実を突き付けられるような事を言葉にされたら、腹が立って当然なのだ。
カカシは必要があらば、肉体的には恋人を裏切るのも忍として正しい道だと信ずる男だった。イルカは同じ忍で男だから、女より理解があるべきだと考える男だった。
心だけが繋がっていればいい?心と身体が別物だなんて、だから割り切れなんて、そんな理屈を考え出すのは人間だけだ。

はじめての大きな喧嘩となったが、ここまででカカシの不誠実な考え方を改めて貰えば、まだ修復出来る余地はあったのだ。





大喧嘩をしてからまだ一度も顔を会わせていなかったあの日、イルカはカカシが病院でなごやかに女性の看護師と話している姿を見た。カカシは目を診てもらっているようだった。おそらくは通っている。
移植された特別な目を持つカカシが、病院に定期的に通っているというのは当たり前の事で驚くに値しないが、しかしイルカはその事を彼の口から聞いた事がない。ただ、イルカには言う必要の無い事なのかもしれない。再びカカシに対する怒りが沸いた。
イルカと直接関係ない事を、また左眼に収めた写輪眼という里の大事に関わる事をむやみに口にしない理屈は分かるが良い気はしなかった。カカシは隠れて病院に通っている訳ではないのだ。
カカシはほとんどイルカの家に入り浸りで、彼はこちらの事情はほとんど知っていた。だから、イルカは隠し事をしないで来た。
イルカが黙って通院するなど、これが反対の立場だったら、カカシはきっとヘソを曲げていただろう。
黙って病院へ、病院でなくとも特定の場所へイルカが出掛けていたら、カカシは内緒にしていた理由を知りたがるはずだ。隠したい事があるのだろうとあらぬ疑いを掛けて来るに違いない。
一方でカカシは隠し事が沢山ある。敢えて出さない素顔のように、敢えて滅多な事は口にしない人だ。
イルカは子供が自ら話し出すのを待つように、カカシに対しても同じように接して来た。本人が明かさない事をむやみに聞かない。

その姿勢が、今にして思えばまずかった。彼の裏切りを最初から見過ごして来たのだ。後になってカカシを責めれば、何を今更とののしられる事だろう。


カカシが慰霊碑に日を置かずして通っている事は知っている。何も闇に紛れて通っている訳ではないので、それは周りにも知られている事なのだ。だが、イルカは直に理由を尋ねた事はない。写輪眼の持ち主だった友の元へ通っているのだと、他の人間から密かに聞いた限りだ。

写輪眼はうちはの人間にだけ発現する血継限界である。
カカシの左眼の元の持ち主も、イルカと同じように黒髪だったのだと気づいてしまえば、彼がお気に入りの自分の髪も、今ではあまり好きではなくなってしまった。
これは、誰にも知られたく無いイルカの本心だ。カカシには絶対、そして自分自信でも気づきたく無かった、あまりにも嫌な思いだ。

一楽で共にラーメンを食べるナルトの口から、今日もカカシ先生が大遅刻したなどと聞かされれば、その理由は一つ。
友と二人だけの時間を過ごしていたに違いない。
ナルトの活きのいい食べっぷりに元気づけられながらも、イルカは現実にはなかった事を思う。もし、慰霊碑に名を刻まれたカカシの友がもし生きていたとしたら、考えなくても分かる、イルカは彼にとって必要な人間になり得無かっただろう。ただの知己の一人として、カカシを遠くから眺めるだけの存在で終わり。イルカはカカシの命を救う事もなければ、瞳を与えるような特別な忍でもない。子供達からその件に関する話しを聞く度に、慣れようも無い胸の痛みをイルカは一人味わっていた。

酷い裏切りだと思う。友に貰った写輪眼に関する事を、カカシが一切イルカに話さなかったのは、自分が彼にとって所詮その程度の相手だからだ。

二人で過ごす時間が足りないと言いながら、カカシは時には何時間も慰霊碑の前で友に語りかける。その姿を遠くから見たこともある。これが裏切りでなくて何になるのか。だがカカシ自信はそれが裏切りだとも思っていないのだろう。イルカにとってはカカシが女を抱くより酷な仕打ちだ。


彼との溝はここにある。

賢い女であればそんな事に目をつぶってカカシを支えて行けるのだろう。けれど自分はそんな物わかりのいいことは出来なかった。
女々しいというのは男に対して使う言葉だと、イルカはつくづく思った。カカシの亡くなった友に、それも同性の相手に、身震いするような醜い嫉妬を覚えている等、自分でも認めたく無い。
だから、カカシに対してこの気持ちを気づかれるような事を僅かでも口にしたく無かった。彼の裏切りを甘んじて受け入れながら、意地でも責めるつもりはなかったのに、その一線を超えてしまった。
そんな情けない事をすれば、身も心もイルカは男としてこの世に白旗を上げてしまう気がしていた。

本当に腹立たしい男だと思う。別れた後も、こうしてまだイルカを悩ませている。あとどれくらいすれば、悩まずに済むのだろうか。
考えても答えなど見つからない。そんな時は身体を動かして頭を使わないに限る。
恒例となったアカデミーの用務員の見舞いに向かう道中、三日ぶりに会う病人の前で嘘でも笑えるように、イルカは凝り固まった顔の筋肉をほぐしながら歩いた。



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(2014.1.8)



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